ギュウゾウ

今回からWEBサーカスでの連載となりました
「ぶらり偉人墓地の旅」。
よりマニアックに、より愛情を込めた
墓地めぐりにしていこうと気組み充分、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。押忍。

第一回の1 近藤勇(こんどういさみ)

さて、新選組ファンを公言・高言するギュウゾウ。WEB版第一弾は新選組局長・近藤勇をピックアップする。近藤勇の墓所は、全国に七ヶ所あるとされています。墓マイラーとして近藤局長のお墓の全てで手を合わせたいと思うのは当然至極。
 月刊サーカス紙上ですでに龍源寺とJR板橋駅前寿徳寺境外墓地のお墓参りをしているので、残りは五つ。
 近藤勇の全墓所掃苔(そうたい)を目指し、次号は福島県会津若松市の天寧寺に向かいます。 今号では新選組局長・近藤勇の足跡を紹介しますので、墓参りの予備知識として人となりを掴んでおいてください。

近藤勇プロフィール

 幼名は宮川勝五郎(みやがわかつごろう)。養子に入り、島崎勝太、島崎勇と名乗ったのち近藤勇。晩年は大久保大和(おおくぼやまと)。

天保5年10月9日(1834年11月9日)
慶応4年4月25日(1868年5月17日)
幕末の剣術家、新選組局長、晩年は幕臣となる。
天然理心流剣術四代目宗家。
出身地:武蔵国多摩郡上石原村(現在の東京都調布市野水)。

 新選組局長・近藤勇(大久保大和)は幕末期の京都で治安部隊として活躍。その後、戊辰戦争・鳥羽・伏見の戦いに敗れ、幕府正規軍・甲陽鎮撫隊を率いて甲州へ向かうが敗走。再び兵を集め下総国流山(千葉県流山市)で屯集している際に新政府軍に捕縛され、新政府軍総督府が置かれた板橋宿へ護送された。近藤の処遇をめぐり土佐藩と薩摩藩との間で論争が交わされたが、慶應4年(一八六八年)4月25日、平尾一里塚馬捨て場(東京都北区滝野川)にて処刑されることとなる。近藤は武士の扱いである切腹をゆるされず斬首を申し渡された。

 斬首の太刀取りは美濃岡田藩(岐阜県揖斐川町)の武術指南役・横倉喜三次。

 横倉はのちに自身の菩提寺にて自費を投じ近藤の法要を行っている。法要覚帳には近藤を「大和守」と書いてあるところから、新政府の意向に反し、横倉は近藤を幕臣・武士として相対し、敬意を示していたことがわかる。
 斬首で用いられた刀は、室町時代の刀鍛冶、二王三郎清綱が打った「二王」と呼ばれる横倉の佩刀(はいとう)。これは現在、岐阜県揖斐川町に在住の横倉家御子孫が保管している(原則非公開)。
 近藤勇の亡骸は刑場跡から南にわずか離れたところにある無縁仏をまつる塚に埋葬されたが、近藤の縁者がそれを掘り起こし、近藤の生家・宮川家の菩提寺である多摩郡大沢の龍源寺に埋葬したと子母澤寛の「新選組始末記」にある。
 近藤の首級は、板橋、大坂の天満、京都の三条河原で梟首された際に何者かに持ち去られ所在が不明となっている。
 近藤勇のお墓は大物偉人の例に違(たが)わず全国に多数存在する。

一、龍源寺(東京都三鷹市)
二、天寧寺(福島県会津若松市)
三、JR板橋駅前寿徳寺境外墓地(東京都北区)
四、円通寺(東京都荒川区)
五、法蔵寺(愛知県岡崎市)
六、高国寺(山形県米沢市)
七、東山山中(黒谷之上ノ山の説もあり)(京都府)

・一の龍源寺には板橋の無縁仏塚から運んだ首の無い近藤の亡骸を埋葬しているとされる。

・三の寿徳寺と四の円通寺は、近藤と共に新選組隊士の名が墓石に刻まれる『新選組墓所』である。

・二の天寧寺には土方歳三が、三の寿徳寺には永倉新地八が近藤の遺髪を埋葬したとされている。

・五の法蔵寺と六の高国寺には、晒(さら)された近藤の首級を密かに運んで埋葬した由縁が残されている。

・七の山中墓は存在が噂されるが未だ発見・特定には至っていない。

8BDF93A1.jpg近藤勇

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●ギュウゾウ(電撃ネットワーク)

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