ギュウゾウ

山口県に行き「尊敬する郷土人は誰か」と
聞いて返ってくるのは、初代首相の伊藤博文でも、
薩長同盟終結の桂小五郎でもない。
ダントツで高杉晋作と答える

第二回の1 高杉晋作(たかすぎしんさく)

高杉晋作(たかすぎ しんさく)は、幕末期に尊王倒幕志士として名を馳せた長州藩士。号は東行。三味線を弾き都都逸をたしなみ、ユーモアあふれる句を多数残した粋人の一面に『動けば雷電の如く』と謳われた行動力も兼ね備えた第一級の傑物である。
今回は山口県下関市まで足を伸ばす『偉人墓地の旅』。

山口空港から下関市新地西町へ

 ワタシは幕末の諸事に関して幕府側、会津側に立って歴史を見ているので、基本的には長州とは逆側にいる。しかし、今回訪ねる高杉晋作だけは別なのである。大好きだ。ほんと大した男なのだ。品川御殿山の英国公使館焼き討ちや、上海への渡航など、行動派としての武勇伝も数々あるが、文の才も高杉の大きな魅力である。高杉が詠んだ和歌をちょっと紹介する。

「翼あらば 千里の外も飛めくり よろつの国を 見んとしぞおもふ」

「身加羅出之錵遠今更如何尓世武 廃良礼志物登成留遠知利津々」(身から出し さびを今さらいかにせん 廃られしものと なるを知りつつ)

「散り行きし 花に色香はおとれとも 同し心の 散る桜花」などなど、心に沁(し)みるいい歌をたくさん残している。

 その中でワタシが一番好きな歌がこれです!!
「人ハ人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」

 ギュウゾウ少年は大志をいだき、栃木の片田舎にある実家の一室でこの詩歌を口ずさみ、羽ばたく機をうかがっていたんです。ロマンチックでしょ、がはははは。
 さあ、長州が生んだ幕末の英傑・高杉晋作を訪ねる墓地の旅の始まり、山口空港から高速道路を使い下関市新地西町へ。

 新地西町付近には『高杉晋作終焉之地』『騎兵隊結成の地』『高杉療養の地』『高杉晋作像』などの史跡・名跡などと共に、高杉ファンの集い『全国晋作会連合会』の看板がかけられた鉄板焼き屋などもあって、町中が高杉スポットとなっている。





























20071119-023.JPG『高杉晋作終焉之地』の案内

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高杉晋作像

 聖地巡礼、まず日和山公園にある『高杉晋作像』へ。

 で、、でかい!

 台座を含めると6mはありそうな巨像である。

 高杉は背が低い事を気にしていたらしいのだが、これはずいぶんと大きな銅像である。見所は高杉像が左手に持っている、長くて真っ直ぐの「勤王刀」である。銅像でかい!刀長い!

 公園内には宮城(皇居)、明治神宮、靖国神社(高杉が祀られている)、皇大(伊勢)神宮、橿原(たてはら)神宮を臨む「逢拝所」という高見台がある。上がって見ると、こりゃ眺めが良い。ここから勤王の誓いを宮に向かってたてるわけですな。

「人は武士、気概は高山彦九郎、京都三条の橋の上 はるかに皇居を伏し拝み 落つる涙が加茂の水」
(高杉が詠んだといわれる詩歌)

 続いて『騎兵隊結成の地』がある功山寺へ。

 ワタシは、身分を問わず人材を集めた日本初の軍隊・奇兵隊の結成こそ高杉晋作最大の功績だと考える。今でこそ門戸を開き誰でも入れる軍組織だが、江戸末期までは武士と農民が共に行動するなんてことはありえなかったのだ。奇兵隊の成功が身分差別・区別をぶっ壊した。身分を問わない。これは長州の反目にいた会津藩預かり新選組も同様であった。この2隊が他軍・他隊の追従を許さぬ最強部隊だったことは胸がすく。明治維新の騒動は新旧両側から古き悪習を打破したのだ。

 おっと脱線。

 寺の境内へ行くと、馬に乗った高杉晋作銅像が参拝者を迎えてくれる。これまたでかい! そしてこっちの銅像も刀が長い!


20071119-053.JPG高杉晋作像





20071119-082.JPG功山寺の高杉晋作像

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おもしろきこともなき世をおもしろく

 この地には高杉のカッコいい逸話が残されている。長州軍劣勢の戦況を打開すべく、高杉はこの場所で「長州男児の肝っ玉をお見せします」と言い放ち、奇兵隊を率いて戦地へ向かい戦功を見事にあげた。

 この土を踏みしめてあの名台詞を言ったのかあ……と思うとシビレるなあ。

 銅像の台座には長州出身の元首相・岸信介の書によるプレートがはめ込まれていた。

 2つの大銅像を拝んで気が高ぶってきたところで、さあ、いよいよ『高杉晋作終焉之地』へ。

 ここで道に迷った。なぜなら、高杉銅像があまりにも立派だったのに対し『高杉東行(東行は晋作の号)終焉之地』の石碑は、街角にひっそりと立っていた。

 これはとても寂しい。

 長州の偉人にふさわしい名跡として扱って欲しいものだ。高杉は慶応3年4月14日、この地で結核により亡くなった。27歳8ヶ月の生涯はあまりにも短いが常人の数倍太い人生だ。

辞世の句は「おもしろきこともなき世をおもしろく」。

下の句の「すみなすものは心なりけり」は、看病していた野村望東尼が続けたと言われている。金網越しに手を合わせる。南無。これから一路車を飛ばして高杉の墓所がある下関市吉田の東行庵へ向かう。

《つづく》。













20071119-035.JPG高杉晋作の終焉の地

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