ギュウゾウ

新選組局長・近藤勇の
お墓巡り第4弾は、
東京都荒川区南千住「円通寺」編。

新選組局長・近藤勇のお墓巡り第4弾

孤高の墓マイラー。いざ、円通寺へ!!

  慶応4年・明治元年(1868年)、薩長を中心とする(明治新政府)西軍と親徳川幕府勢力(佐幕派)の東軍が、日本の統治権を争い戦った鳥羽伏見の戦いが起こり、「戊辰戦争」へと拡大することになる。この戦は大きく分けると、「鳥羽伏見の戦い」「上野戦争」「東北戦争」「函館戦争」に分けられる。

 円通寺には戊辰戦争が京から蝦夷地まで広がる中で亡くなった東軍・佐幕派の戦死者を埋葬・供養しており、その仏様の中に近藤勇も含まれている。佐幕派びいきのワタシとしてはいつもに増して墓参に力が入るわけです。

 孤高の墓マイラー・ギュウゾウ、いざ、円通寺へ。

 境内に入ると正面にドーンと派手な観音様が参拝者を出迎えてくれる。パステル・グリーンの台座に金色の大観音像だから、これは失礼ながら新興宗教の本山っぽい外観。

(注:円通寺は1200年以上の歴史を持つ由緒あるお寺です)









DSC04965.JPG円通寺、境内に入ると正面

ものすごい数の銃痕……

 そして、観音様に向かって左側には……有名な黒門がある。

 うわあ、重厚。そしてすごい数の銃痕。

 これは激戦であった上野戦争で彰義隊が立てこもった寛永寺黒門である。維新後は帝室博物館に収蔵されていたが、明治40年10月、彰義隊の戦死者を埋葬していた円通寺に下賜されたそうだ。
 貫通の弾痕を見ると西軍はきっと新式銃で撃ちまくったんだろうなあ。円通寺のHPには『弾痕、蜂の巣ごとく印し、激戦の状目の當り見るが如し』とあった。
 上野戦争で戦死した彰義隊士の遺体は、賊軍の亡骸であると散乱放置され、市民は新政府に気兼ねしてこれを葬ることがはばかれた。しかし、徳川のお膝元で育った江戸っ子の中には義侠に燃える者もあらわれる。

 中でも親分檀家と呼ばれた神田の三河屋幸三郎、浅草の火消し頭の新門辰五郎、円通寺・大禪佛磨大和尚は私費を投じて戦死体を集め、上野山内にて火葬し(上野戦士之墓)、円通寺に埋葬した。

 さぁ境内へ。『戦死墓(彰義隊士の墓)』は、柵に囲われた場所にある。これは明治37年5月15日に榎本武揚によって建てられ、墓碑銘も榎本の書によるもの。ここには荼毘にふした226体が埋葬されているそうだ。

DSC04973.JPG黒門に残る銃痕







DSC04987.JPG戦死墓(彰義隊士の墓)

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いよいよ墓参

 柵内には、戊辰の始まりから函館で終結するまでに戦死した要人を弔う供養碑『死節之墓』もある。これは、前出の三河屋幸三郎が向島の別荘に密かに立てて、鳥羽、伏見、函館、会津などの各藩士の戦死者の氏名を彫って供養をしていたものを後に円通寺に移築した(円通寺HPより)墓石。

 死節之墓の墓石右側には近藤勇など41名、裏側には日光山下戦、奥州宮古及箱館戦で没した15人の隊士の名前が彫られ、その中には土方歳三や伊庭八郎などの名前もある。数えると石には九十七の名前と神木隊二十八名が刻まれていた。

 他にも敷地には、榎本武揚・松平太郎・大鳥圭介・荒井郁之助の蝦夷共和国(蝦夷島政府)重鎮。高松凌雲、町野五八。天野八郎・土肥庄次郎(松乃屋露八)・後藤鉄次郎の彰義隊幹部。そして三河屋幸三郎・新門辰五郎の彰義隊埋葬功労者。函館で土方の遺体を埋葬したと言われる小芝長之助(元お庭番・忍者と伝わっている)らの碑がある。

 賊軍として石もて追われた旧幕府軍だが、こうして供養されていたことに何故かほっとする思いになった。

 合掌。

 病気療養中にもかかわらず敷地内を案内してくださったご住職と共に『武士能 忠死痛むや 夕さ久ら』(もののふの ちゅうしいたむや ゆうさくら)の碑と共に記念撮影。お世話になりました。















DSC05055.JPG『武士能 忠死痛むや 夕さ久ら』の碑

墓地の旅、脱線・番外編
 さて、今回の墓地の旅は近藤勇なのでこれは脱線編になるのだが、上野戦争最大の激戦があった寛永寺、今の上野恩賜公園にも彰義隊の墓があるので、そちらにも足を伸ばす。
 桜の名所、博物館、動物園で有名な通称・上野公園。この地の西郷隆盛像裏手にもう1つの彰義隊墓はある。
 この場所は、見せしめのために放置されていた佐幕派戦死者の亡骸を三河屋らが火葬した場所である。だからこれは正確には慰霊碑になるのかもしれない。
 これは余談であるが、上野の山に鬼火が飛び交うという噂が広がり、明治政府は6年後の明治7年(1874年)、彰義隊の怨霊退散祈祷を行いここに墓石建立を許可したそうだ。
 観光案内には「彰義隊の墓」と紹介されているのだが、立派な墓石には旧幕臣・山岡鉄舟の筆による『戦士之墓』の文字が刻まれているのみ。彰義隊という名称を使うことがはばかれたのか、戦争が終われば敵味方ともに同じ戦死した武人であるということなのか。今となっては山岡の意図は想像するしかない。

 それと、ここら一帯を焼け野原にした西軍の最高指揮官は西郷どんだからねえ(張本人は彰義隊壊滅軍を率いた大村益次郎だが)、並べるように立てるのはいかがなものかと思ったが、朝敵の汚名を被り自刃した西郷の名誉回復の顕彰銅像が、同様に朝敵とされた彰義隊の墓と同じ場所にあるのは、長州閥の意向があったのかな……と深読みしながら、合掌。
 円通寺ご住職ならびに先達からいろいろ知らない史実を教えていただき、勉強になる良い墓地の旅でした。
 今回も無事、墓マイル貯まりました!

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●ギュウゾウ(電撃ネットワーク)

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