ギュウゾウ

ぶらり偉人墓地の旅「三遊亭圓朝」編・前編

今回は落語家さんのお墓参りをします。それも大物中の大物、落語の神様・三遊亭圓朝の偉人墓地の旅。前編・後編に分けて、いざ参る。

落語中興の祖、三遊亭圓朝

 読者の許(もと)まで届いているかどうかは分からないが、ただいま東京は大落語ブームである。

 特に若手陣(と言っても、落語の世界では40歳を過ぎないとヒヨッコなので、みな世間では中年すぎですがw)の充実ぶりが素晴らしい。立川流四天王の志の輔、志らく、談春、談笑。柳家の人気者、喬太郎に花緑。柳亭の実力派、美声の市馬。林家のホープ、たい平。春風亭からは小朝に昇太。三遊亭からは白鳥に鳳志(圓楽一門会)。
  他にも古典、新作それぞれでテレビでは見れない大スターたちが目白押しなのである。ホントね、ホール落語会なんかはチケットが全然とれないんですよ……「いま落語を生で聴かなきゃいつ聴くんでぃ!」と啖呵(たんか)を切りたくなるくらいワタシも夢中になる人材が充実している。

 さて、聖地巡礼の前に、今回の偉人について軽く紹介する。

三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう)
天保10年4月1日(1839年5月13日) - 1900年(明治33年)8月11日。

 幕末から明治に渡り活躍した落語家・噺家・落語創作家である。 その功績は、今も高座で演じられる名作を数多く創作した(落語ファンでなくとも知っている、芝浜、四谷怪談、牡丹灯篭などは圓朝の作品である)落語中興の祖であることに留まらず、話し言葉に近い口語体を用いて文章を書く、近代日本の文体を確立させた近代日本語の祖でもある。また、落語ファンには「大圓朝」と呼ばれ親しまれており、毎年命日には『圓朝まつり』『圓朝祭』『圓朝忌』が各地で開催されている。

 正に落語の神様と言っても過言ではない。なにしろ、偉大すぎて名前を継げる人がいない程の大名跡となっている。一時期、春風亭小朝師匠が名跡を継ぐという話があったが、それも立ち消えてしまった。それほどでかい噺家なのである。




三遊亭圓朝

三遊亭円朝旧居跡

 さすが大圓朝のお墓参り。墓地の旅常連のコンタロウ先生(漫画家)をはじめ、歴史アイドルの美甘子さん、そして落語家の柳家初花(しょっぱな)さんなど総勢14名が参加の大所帯となりました。

 まずは晩年を過ごした三遊亭円朝旧居跡から聖地巡礼。

三遊亭円朝旧居跡
東京都新宿区新宿1-21 東京メトロ丸ノ内線・新宿御苑駅大木戸門口から徒歩5分)

 午前11時に新宿御苑駅に集合してさあ墓地の旅。少し歩くと花園公園の一角に旧居跡の石碑がある。圓朝屋敷地は、およそ1000平方メートルあったそうで、この付近一帯は全部圓朝さんのお家!噺家として最盛期から晩年をこの屋敷で過ごしたようです。
 最盛期の圓朝はとにかく売れっ子で、移動のために雇った人力車の車夫が過労死したという逸話も残っているほどだ。
「日本初の過労死ですね」(初花さん)

 今回は柳家一門のホープ、将来は大名跡・小さんの跡を継ぐのではと言われている花緑師匠の総領弟子である柳家初花さんが同行しているので、節々で落語にまつわる楽しい話・唸る逸話が聞けます。今回の参加者はお得だなあ。

 今は大都会の一角となったこの付近も、明治期は田園地帯であり静かな場所だったので、繁華街の喧騒から離れて創作活動と休息を得るためにここに住んだのだと推測される。第一線を退いてからの圓朝は、この地から神田佐久間町に移り住み、下谷車坂町で亡くなったそうです(諸説あります)。

 注意点として一つ。花園公園は新宿の花園神社の近くにはありません。読者は気をつけるように。ワタシは間違えた。

総勢14名が参加の大所帯


旧居跡の石碑

初代三遊亭円朝旧居記念碑

 続いて圓朝が明治9年から20年まで住んでいた住居跡へ。少々分かりいくい場所に史跡柱が立っているので根気よく探していただきたい。道路に面して立ってますよ。

初代三遊亭円朝旧居記念碑
墨田区亀沢3-20付近・都営大江戸線両国駅から徒歩7分

 幕末の“三舟”と呼ばれた、勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟。圓朝はこの中の泥舟、鉄舟と懇意にしており、特に鉄舟には禅を通じて師事し、落語開眼へ大きな助力を得たと言われている。
  余談だが、山岡鉄舟は幕末期の大物幕臣の中でワタシが好きな侍である。佐幕贔屓のワタシとして、なんだか嬉しいエピソードである。

 しかし……柱に「防犯 暴走はしないさせない 亀沢三丁目町会」というシールが貼られていたのがちょいと気になった。暴走族が多いのは理解しますが、地域の史跡柱に町会がシールを貼っちゃダメでしょ!

 史跡柱の近くには、北斎通りがあり、通りに面した公園には北斎の浮世絵でラッピングされた公衆便所や、富嶽(富士山)をモチーフにしたジャングルジムなどがある。この公園はどこを見てもフォトジェニックであり、同行者たちが一斉にカメラを構え始めたので休憩&寄り道。記念撮影をしている我々を、公園で遊んでいる子供やお母さんたちが不思議そうな顔で見るが、北斎の絵がラッピングされている公衆便所は世界的にも例を見ない、ぶっとんだ芸術です、記念写真の対象です(笑)!

 さて、寄り道をしていて相撲の神様を祀った野見宿禰神社を見つけた。ここには歴代横綱の名前が刻まれた記念碑があり、横綱は昇進するとここで奉納土俵入りをすることが慣例となっている。やはり大相撲はたんなるスポーツではなく神事でもあるのだ。素行不良で進退を問われている(墓参の当時)朝青龍もここで奉納土俵入りをしたのだな……やはり横綱は強いだけじゃだめだと再自己確認。
  おっと脱線した。聖地巡礼はまだ半ば過ぎ。

永遠のライバル、三遊派と柳派

江戸落語は「三遊派」と「柳派」と「江戸桂派」の派閥がある。現在、落語協会・落語芸術協会に属していない立川流は家元の談志が、人間国宝五代柳家小さんの弟子だから祖をたどれば柳派に属する。

 圓朝は三遊亭だから三遊派である。江戸末期、三遊派は柳派・江戸桂派に押されていたが、圓朝の登場で息を吹き返し、柳派と拮抗する存在となり、ついに明治22年(1889年)4月、向島の木母寺境内に三遊派一門43名を集め『三遊塚』を建立。派の隆盛を示し、初代三遊亭圓生、2代目三遊亭圓生を追善記念する。これに対して柳派は法性寺の柳島妙見山聖堂に『昔はなし柳塚』を建立し対抗した。 次回の後編では、今回の目玉でもある「三遊亭と柳家のライバル関係」を巡る聖地を訪ね、いよいよ大圓朝のお墓参りです。

史跡柱


史跡柱に町会のシールが


北斎の絵がラッピングされている公衆便所


野見宿禰神社


奉納土俵入り?

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