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ぶらり偉人墓地の旅「三遊亭圓朝」編・後編


三遊亭圓朝の偉人墓参り、後編です。 今回の目玉でもある江戸落語の二大派閥「三遊亭と柳家のライバル関係」を巡る聖地を訪ね、いよいよ大圓朝のお墓をお参りします。

三遊亭と柳家は永遠のライバル

 ここで、もう一度江戸落語の派閥をざっくりと紹介します。笑点の司会で御馴染みの桂歌丸師匠が会長を務める落語芸術協会。これが江戸桂派の大きな一派と考えて良いでしょう。この派は上方落語協会会長の桂三枝師匠と祖を同じくする由緒ある一派でありますが、江戸落語では三遊亭圓生・圓朝を止め名(最高名跡)にする三遊派と柳家小さんを止め名にする柳派が江戸時代から現在までずーっと覇を競っています。例えるならば、野球で言うところの巨人と阪神。サッカーで言うところのレアルマドリードとFCバルセロナ。いわゆる宿命のライバルってやつです。

 現在の江戸落語界は、『落語協会』、『落語芸術協会』の2大団体と、昭和43年(1978年)落語協会が5代目柳家小さん会長時代に勃発した三遊亭圓生らの脱会、三遊協会発足に端を発する騒動終結後も、そのまま協会復帰をしなかった三遊亭圓楽一派の『大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)』、昭和58年(1983年)に協会真打試験制度の運用に異議を唱えて脱会した立川談志一門の『落語立川流』を加えて4派体制となっている。
  ここであえて4派を分析すると、落語協会は柳派中心で、古今亭・金原亭そして三遊派を含む最大連合団体。芸術協会は江戸桂派と春風亭が中心で三笑亭に三遊亭の大物も理事に名を連ねる。円楽一門会は三遊派。立川流は家元の談志が元々は小さんの弟子なので柳派となる。この分類は現在あまり意味がないものだが、江戸落語の中心はやはり三遊派と柳派であることの確認として記す。

 こういったことをふまえて、「三遊亭と柳家のライバル関係」を巡る聖地をいざ参る。




三遊亭圓朝

三代目柳家小さん

まずは「柳塚」へ

 まずは、三遊亭圓朝らの隆盛に対抗して柳派が柳島妙見山聖堂に建立した『昔はなし柳塚』へ。

柳島妙見(やなぎしまみょうけん)
[法性寺・東京都墨田区業平5-7-7]
・都営浅草線・東武線押上駅・下車。
・東武伊勢崎線・業平橋駅下車。

 明治22年(1889年)、同じ墨田区にある木母寺に圓朝を中心とする三遊派が派の隆盛を誇示する意味も込めて『三遊塚』を建てる。すると三遊派と覇を競っていた柳派はそれに対抗して、同時期に柳島妙見に『昔はなし柳塚』を建てた。
 工事中の東京スカイツリーを横目に見ながら柳島妙見へ。

 ここは、落語演目「中村仲蔵」で「忠臣蔵」五段目の斧定九郎の役を割り当てられた仲蔵が、役作りを工夫するためにこの寺に願掛けをしたといわれている、落語と縁深い由緒あるお寺です。

 境内に入り左に折れると『昔はなし 柳塚』の石碑がある。塚の脇には「柳塚(東西落語家結集之碑)」と書かれた木柱も立っている。

 同行してくれた柳家初花さんが流暢に解説をしてくれる。 初花さんは柳派の最高名跡「小さん」の孫弟子。言うまでもなくバリバリの柳派噺家さんです。初花さんを囲み、一行は記念撮影。

 境内には、柳塚の他にも江戸桂一門の止め名(最高名跡)であり、東西落語界を含めた桂一門の宗家の名である桂文治(六世)の碑もある。この二つの石碑から、ここは柳派、桂派、三遊派の対立を見る時の最重要聖地と言えるであろう。

 気持ちが上がってきた。

スカイツリーを横目に
柳嶋妙見山法性寺
柳塚
(初花さんと歴ドル・美甘子さん)

続いて「三遊塚」へ

 続いて、三遊亭圓朝らが建立した『三遊塚』へ聖地巡礼。

木母寺(もくぼじ)
[東京都墨田区堤通2-16-1]
・東武伊勢崎線・鐘ケ淵駅下車、徒歩7分(公園内を通り向かう)
・東武伊勢崎線・東向島・徒歩20分。

 三遊亭圓朝は明治22年(1889年)4月、木母寺境内に三遊派一門43名を集め三遊塚を建立し、初代三遊亭圓生、二代目三遊亭圓生を追善祈念する。

 木母寺の境内には……で、でかい!
三遊塚は凄い迫力で我々一行を迎えてくれた。
三遊派隆盛を誇示するに相応しい大きさ、勝海舟と共に幕末三舟と呼ばれる大物中の大物である山岡鉄舟による題字、高橋泥舟による撰文・書の石碑には風格も漂う。

 柳派である初花さんも「初めてここに来ましたが、我が一派の碑は完敗ですね」と後ずさり。

  江戸落語最大のライバル関係である三遊派と柳派だが、圓朝出現前は柳派にずいぶん押されて青色吐息だったそう。この石碑から、盛り返したことがよほど嬉しかったと見える。何しろ、強烈に大きく、尊大である。これを見た柳派はギリギリと歯軋りをしたことだろう。初花さんも……あ、三遊塚の前でまた歴史アイドルの美甘子さんとニコニコ記念撮影をしている、コラーッ、裏切り者!

 おっ、ここで三遊塚の近くに『川柳』と刻まれた塚を発見。
初花さんに「これはまさか、川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)さんの塚じゃないでしょうね!?」と振ると、初花さん顔色を変えて「そ、そんな馬鹿な」となる。川柳師匠は、三遊亭圓生一門を破門された現在も活躍中の爆笑系落語家さんで『ガーコン』という名新作落語で有名な怪人派噺家である。落語に明るくない同行者たちには何のこっちゃであるが、落語通たちは大爆笑。これは川柳の句塚でした。

木母寺


三遊塚


「川柳」と刻まれた塚

いよいよ最後、落語中興の祖の墓へ!

 聖地巡礼はここまで。 いよいよ、落語の神様・三遊亭圓朝の墓参りである。

全生庵(ぜんしょうあん)
[東京都台東区谷中5-4-7]
・東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩7分。
・JR日暮里駅・徒歩11分。

 圓朝墓所は千駄木の全生庵にある。

 寺の門前には「東京都史跡 三遊亭圓朝墓」の石柱、境内を入ると「三遊亭圓朝翁碑」がたつ。

 余談だが、先日お亡くなりになった笑点の司会者で御馴染みの五代目三遊亭圓楽(円楽一門会総帥)は前座時代、このお寺にちなんだ「三遊亭全生」という名を師匠・圓生に貰っている。

 さあ、気を充実させ墓所に向かおうか。
圓朝の墓所近くには、山岡鉄舟の墓がある。
鉄舟は圓朝の心の師であり、鉄舟臨終の際には圓朝が枕元で落語を演ったという話が今に伝わっている。

  圓朝は落語以外に師をたくさん持っていて、鉄舟の他に、噺家になる前は、広重・国広と並ぶ幕末三大浮世絵師・歌川国芳の内弟子でもあった。

  圓朝は、現在でも人気のある人情噺演目の『芝浜』や『文七元結』、怪談噺の『牡丹燈籠』や『四谷怪談』を創作した。滑稽噺の柳派に対する人情噺の三遊派というスタイルは、圓朝が築いた。鉄舟や国芳に師事したことで人情・怪談の描写力が磨かれた為であろう。

 さあ、お墓参り。
質素ながらよく手が入った墓所。
墓所の隅には愛犬「ぽん太」の墓石もあった。
墓参一行それぞれが思いをこめて合掌。

全生庵では、命日にあたる8月11日、その直前の日曜日に毎年「圓朝まつり」が開催される。ここでは派を超えて真打が集まり奉納落語が行われ、大勢のファンで賑わう(2005年には約1万人が訪れた)。

 墓参後は上野へ向かい、鈴本演芸所近くの湯麺屋さんで歴代の噺家たちが食べたノスタルジックなラーメンを食べ、広小路亭に立川志らく一門会を聴きに行く。落語三昧の一日となりました。

三遊亭円朝の墓


鈴本演芸所


「珍満」のラーメン

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